さる官立高等學校の物理の先生が、オームの法則を教へるとき、かういつたことがある。 『これはECRと覺えるがよい。~田の電機學校の徽章はこれから取つたものだ』と。 今日それほどにも本校の徽章は有名になってゐる。この徽章は制定後校外生に送つてやつたのが實用の第一歩であつた。 ECRのCは、今日靜電容量の記號になつてゐるが、昔は電流の記號(今日のI)であつた。 嘗て米國の電燈教會(略稱N・E・L・A)で、これを古體文字で表はしたものを、會員章に採用した時代があつた。 廣田は、明治三十一年わが國電氣工學界の長老藤岡市助博士と共に、シカゴで開かれたN・E・L・Aの大會に出席したことがある。 そのときの襟章の字體がいたく廣田の心をひいた。 そこで徽章の話が出たとき、その優雅なECRを三つの三角の中へ入れて並べて見た。しかしどうも引き立たない。 そこへ扇本の口添もあり、思い切つて廣田の家紋三つ石にECRを配することにした。それが即ち今日の徽章の起源である。 今から考へると、公私を混じたやうで一寸變だが、當時創立者は本校を財團法人といふ公の機關にする意志がなかつたから、止むを得まい。 また周圍に月桂樹をあしらつた圖案は、月の桂を手折る意を寓したもので、初めて校内生用の帽章を作るときに生まれた案である。 校歌の第三章に「月の桂」の言葉があるのは源をここに發する。 「電機学校二十五年史」から抜粋 |
|||